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2017年4月13日木曜日

入籍日

ついに…ついにこの日が来ました。
自分の人生には来ないと思ってた日です。

朝、起床。
需要書類の記入なので、もちろん神酒(ビール)を呑みながら。


これが由緒ある正しい婚姻届の書き方です。笑


ところで、なぜこの日にしたのか??
本籍地をなぜ妻の実家にしたのか??


実は、最近風水に興味がありまして、風水を元にそのようにしました。

そんなこんなで捺印!!


さらば独身!さらば自由気まな日々!
ようこそ既婚!いざ責任の日々!笑


「マサオニオンはいつまでも独身で、好き勝手やって、そのうちハゲて孤独死する」と思ってた皆様のご期待に添えず、申し訳ありません。


そしてこの日は桜も満開で、三島大社というところに行って来ました!


いい感じでございます。

来年のこの頃、ここで親族のみの挙式を行う予定です。「桜満開の時にやりたい」という奥さんの強い希望です。

大社の杜という隣接施設で、新酒のお代わり。





奥さんがお酒飲めない体質なのが、ほんとありがたい。笑

肝心の婚姻届ですが、書類に不備があり諸々の修正などに時間がかかり、市役所の時間内に間に合わないという事態が発生。

しかし、夜間受付の窓口があり、22時くらいに提出が完了。守衛のおじさんが受け取ってくれました!
優しそうなおじさんで良かったです。

という事で無事に2017/4/13付けで入籍して参りました。

 

ちなみにこのブログに存在は、奥さんは知りません。
会っても言わないでください。笑

別にやましい事があるわけじゃないですが、このブログあくまで僕のパーソナルな思い出記録の場なのです。自分の部屋みたいなもんです。笑

重ねて、よろしくお願いします。

2017年4月12日水曜日

GRAPEVINEが今一番好き

知ってはいたけど、ここにきてツボってしまいました。
それがこちら、グレイプバインです。




なんと今年で20周年。すごいですね~自分が中学校の頃からバンドやってると思うと本当すごい。
当時デビューしたバンドで何組残っているんでしょうか?ってレベルだと思います。

しかも、なんとも言えず艶っぽくなんているんです。
たとえば、代表曲の「光について」

初期の頃がこちら
NHKのポップジャムです。オケはおもいきり当てぶりって感じですが…泣←本人達もさぞ、悔しかったのではないでしょうか。。でも当時数あるバンドの中でも、異彩を放っていましたよね。

そして最近のがこちら
す、素晴らしい…!!!まさにベテランバンド。泣
そのまま一発撮りでレコーディングできそうな演奏のクオリティー。こうやって聞くと、ついに楽曲がバンドのキャリアに追いついてきたって感じでしょうか 。


このバンドの魅力にまず挙げられるのが、ギターボーカル田中氏が描く世界観。…っていうのはよく言われているので、あえて僕が挙げたいのはドラマーの亀井氏が作曲するところ
しかもすごい名曲揃い!
そして同時に、canopusドラム の良さをとってもよく表現してるドラマーだと思います。


そんな亀井氏が作曲し、世に送り出した一曲に、心打たれてしまいました。
風待ちPV

PVは本当に意味不明。笑
原曲もいいですが、最近のライブもいいです。
風待ちLive


いきなり私事ですが、ここ最近のブログで今までの事を振り返り、言葉ではうまく言えないけれど、なんかポッカリしてしまいました。そんなうまく言えないそんな気持ちをすべて汲んでくれたのが、この曲です。ほんと久しぶりに音楽聴いて、涙が出そうになりました。

理想の自分、過ぎて行った時間、どうにもならない日々、大切な人。
やりきれない思い、切なさや後悔、希望。

言えば言うほぼ陳腐になるけど、とにかく今の自分に一番しっくりきたのでした。




追伸
明日、入籍します。

2017年4月4日火曜日

2011年 27歳 暗黒の一年 ~人生初の愛憎劇~

※初めに言っておきますと「暗黒の一年」っていうとなんかものすごいようですが、
はっきり言ってたいしたことないです。笑
ただ当時そんな心境だったことは確かです。


それでは本題へ…


年末の揉めたものの、僕は彼女のS子をうまくやっているつもりでした。
部屋の模様替えなんかもして、すっかり伊豆の生活を楽しんでいました。

楽器部屋も…

生活部屋も…
 
春の訪れとともに、桜デートなんかしてうつつ抜かしています。

河津名物「河津桜」

伊豆高原「さくらの里」

手作り弁当なんて持参しちゃってね~



…と、ちょうどこの後くらいからです。
S子の様子がおかしくなってきたのです。

なんとなくちょっと冷たい。なにかと不満を口にすることが多くなった。
以前と違い、僕と休みの予定を合わそうとしない。

こういったことが重なり、また徐々とエスカレートしていくにあたり、ぼくは辛くて一人で海なんて見に行きました。笑


そしてついに人生初の禁断の行為をしてしますのです。季節はたしかちょうど梅雨の終わりくらいでした。


そう、お風呂入ってる間に、携帯を見る。笑


そして文字通り、頭が真っ白になりました。
はっきりとは覚えていないけど、こんなメールでした。※当時まだLINEとか無いです。


僕と予定を合わせなかったとある夜に…

浮気相手M「今どこ?」
S子「もうすぐ着くよ。」


そしてその後がこちら。

浮気相手M「朝ごはんありがとう。幸せだったよ。」


はい、終了。笑

風呂上がりの彼女にいきなり「はい、さようなら~」っと言って、荷物をまとめて今すぐ家から出ていくよう言いました。

「は??何?何?意味わかんないんだけど。」と困惑するS子に、僕は言いました。

「じゃあ浮気相手Mって誰?」

すると事情を察したS子は急に態度を変え、薄ら笑いで出て行きました。
そして、最後に捨てゼリフのように吐き捨てたのです。


「自分だって女友達たくさんいるじゃん!!」


そう、S子はとっくの昔にぼくの携帯見ていたのです。笑

でもなぜかこの一言が、僕にはとても重くのしかかりました。

さらに年末の出来事をずっと許すことができないし、それのせいだとも言われました。
そしてなぜかこう思いました。「悪かったのは自分なのだ」と。




そうして、ここから人生初の愛憎劇が始まるのです。

あなたのまわりにもいませんか??
とっとと別れりゃいいのに、なぜか別れない二人。まさにあれです。笑

でも渦中の人間にしかわからない気持ちがあるんです。どこかで耳にしました。

人間の気持ちで一番強いのが「愛する」と「憎む」だそうです。

つまりそのふたつがゴッチャになっちゃって訳の分からない感情になっていろんなことをしてしまうのが、まさに愛憎劇なのです。

まずダメなのが、とりあえず、お互い携帯を見る。笑
良いことないんですよ、見たって。もめるだけですから。
…でもなぜだか、別れられないんです。

町の教会にこんな張り紙を見つけたけど、当時の僕ではだめでした。


夏にKSN氏が遊びに来て海行
った時も、なんとか彼女に復讐したくて、その一心で女の子に声かけました。もう本当に誰でもよかった。
 
でもそーゆーときは何やってもダメなんです。


もしかしたらS子は僕の貯金通帳すら見ていたかもしれません。
お金が無さ過ぎて将来が不安とも言われました。

そりゃそうだ。ただでさえお金ないのに、ローン組んじゃったし。

そんな感じで「自分は一体何をしに伊豆に来たんだろう?」って思って、また一人で海に行きました。

別れたい。でもなぜか別れられない。

もう一度音楽機材揃えて、宅録再開しようと思い秋葉原まで行くも、お金無くて全然買えない。
  
そんな調子で秋が過ぎ、冬を迎えても、気持ちは変わらずずっと暗いまま。本当にこの時間が長く長く感じました。

別れたい。でも他に好きな人ができる感じがしない。
←そんなわけないけど、当時は愛憎劇の最中でそれが分からない。笑




そんな調子で年を越して少し経った頃、ふと救世主のような人が現れたのです。

それが、中学の同級生だったけど、当時あまり喋ったこともないC木K子さん。
mixiで「久しぶり。マサオニオン君って今なにしてるの?」みたいな連絡くれたのです。

S子に内緒で二人で会いました。

するとK子さんの職業はアパレルだし、しかも彼氏に浮気されて別れたばかりだったのです!
僕はその瞬間、K子さんが好きになっていました。笑


そして帰宅すると、S子にこう言われました。

「携帯見せて」

「嫌だよ」

僕はそう言うと、S子はそのまま出て行きました。それが別れの瞬間です。
そしてその後分かったことがあります。


愛憎の「愛する気持ち」が無くなれば、「憎む気持ち」も消えました。

それはそれは、もうビックリするほどきれいサッパリと。



そして僕はアメブロの「Life Izu Acoustic」を削除し、2012年の4月からこのブログで再開するのです。削除の理由は、単にS子との思い出が詰まったブログを続けるのが嫌だったからです。
今にして思えば、当時のそのままの思い出としてとっておけばいいのに、本当くだらないに理由で削除してしまいました。笑


その後、K子さんとはお付き合いすることになりませんでしたが、辛い時期を終えるきっかけをくれた事に感謝しています。ここでの感謝はK子さんの事も入っています。

そして愛憎劇を繰り広げたS子にも感謝しています。
幼い恋愛体験を卒業することができたからです。いわゆる学生的な「恋愛」の最後の人だったと思います。
もう人の携帯を見たいとは思いません。笑
その後彼女は僕と別れてほどなくして別の人と結婚し、子供が生まれたのですが、その時心から「お幸せに」と思いました。


そして、一連の愛憎劇のきっかけとなった年末の出来事


このとき連れてきた会社の子こそが、今の彼女であり、婚約者です。(右)



ちょうどその時の写真です。
これがきっかけでS子との関係が悪化し、浮気が発覚し、色々と辛かった時期には「なんであの時会社の女の子を連れて行ってしまったんだろう」と自分の行動をとても後悔しました。

でも、今にして思うとS子と別れてお互い本当によかったと思います。
自分で言うのもなんですが、本当に素晴らしい人に、あの時すでに出会っていたのです。

なんかそう思うと、人生何があるかなんて、本当分からないもんですよね。



…そしてもうひとつ、お金の問題。

S子と別れたこの頃、アパレルの安い給料に車のローンなどもあり、一人暮らしの生活が厳しくなっていました。実際22時半~24時まで、パチンコ屋さんの掃除のアルバイトなんかもしていました。


そんな僕を見かねた親が、特別に融資してくれたのです。その額なんと200万円。
「4兄弟の兄達にも、結婚するタイミングで渡してきた。正雄には先に渡すから大事に使いなさい。」と言って振り込んでくれました。

僕はいつまでも自立できない自分が情けなくて、また、いつまでも子を想う親の優しさを感じて涙が出ました。
本当に助かりました。感謝の気持ちを綴り、初めて両親に手紙を送りました。

ところが、その後はこのブログをみていただければ分かる通り…


見事に使い果たしました。


すぐに車のローンの残金をまとめて返して、100万ちょっと残ったはずのお金が、ドラム買ったりなんだりですっかり散財し、30歳になる頃にはすでに底を尽きてしまいました。
その間に店長になったりしてお給料も少しずつ上がり、その後はなんとか生活できていますが、本来であれば結婚資金など、大事な時までにとっておくべきお金でした。


とてもお恥ずかしい話ですが、これは告白しておく必要があると思ったのです。
(笑)ってつけたいけど、笑えないと思います。


でも、伊豆に越してから今までの色んな事を整理して告白する事で、なんとなく清算できた気がします。笑


これからまた新たな気持ちでよろしくお願い致します。


2017年 春 マサオニオン

2017年4月2日日曜日

2010年後半 26歳 慣れ始めた伊豆の生活  ~料理と彼女にかまけて~

後半と言ってもちょうど梅雨時期くらいからです。

ここでUSBに収められた写真はデジカメからiPhone3GSへと変わります。このiPhoneってのも、生活に実に大きな変化をもたらしましたね〜。スティーブジョブス偉大なり。


高校の同窓会でバンドやることになり、その練習で平塚までチョロ松で行ったときの一枚。


また、「マサオニオンが伊豆に住んでる」との話を聞いて、地元の友達もチョロチョロ伊豆に遊びに来るようになりました。


そして入社して半年ほどでいきなり海外出張!
ハワイへ洋服の買い付けに行かせてもらいました。会社の代表と二人で行ったのですが、これがとても楽かったのをいまだに覚えています。

普段しないサングラスなんかしちゃって、完全に調子のっています。笑
アジア以外の国に行くのは初めてだったので、脈絡もなく気になったものを写真に残してきました。
 

 


最終日にレンタカーを借りてオアフ島を一周したのですが、それが最高でした!
有名なガーリックシュリンプ屋さんや…
 
ノースショアにある雰囲気抜群のショッピングモールなど。


そしてこの時レンタカーした車がなんとこちら…








Pちゃん!!!


そう、この時恋してしまったのです。笑
チョロ松に変えたばかりなのに、いつか乗りたいな~って思ってここに至ります。
そして帰国直後…






チョロ松、動かず。


車は正直です。ハワイでPちゃんとの浮気がバレていたようです。
そして離婚が成立。直後に再婚。




元カノと。笑


ジープ買ったお店から、売ったJeepを買い戻したのです。
この時、僕は人生初のローンを組んでしまいました。80万円です。このローンがこの後じわりじわりとボディーブローのように効いてくるのです


会社の同年代のスタッフとも遊ぶようになりました。


あと本格的に料理をやりだしたのもこの頃です。当時のブログも料理のネタばかりで、友達から「音楽じゃなくてなぜか料理にハマっている」と言われたのを覚えています。


伊豆に来て初の夏休みには、KSN氏、HRKW氏、OT氏などが遊びにきて、海に繰り出したりしました。その後に続く夏休みの過ごし方の原型はここから始まっていたようです。
 
そして夏も終わりに近づいた頃、伊豆に来て初めての彼女ができました。名前をS子としておきましょう。このS子さんは生まれも育ちも伊豆の地元民で、とにかく見た目がものすごくタイプでした!
そしたら知り合いを通じてS子さんも僕の事を気になっていると聞き、それからあれよあれよと事が進み付き合うことになったのです。


初島行ったり… 横浜中華街行ったり…
 
楽しくデートなんかして、それはそれはいわゆる幸せ期でした。
僕の誕生日には、なんとずっと欲しかったハミルトンの腕時計をプレゼントしてくれました。


5万円近くする時計で、自分ではとても買えるものではありません。
「いつか欲しいな~」とボヤいていたのを覚えてくれていて、それを買ってくれたのです。
本当にいい彼女だと思いました。笑


ただこの頃、一度だけもめた事がありました。


S子が働いている日帰り温泉施設に、会社の同世代の女の子2人を連れて遊びに行ったのです。
僕としては彼女を紹介するつもりでした。


すると後日、突然「別れたい」と連絡がありました。


僕にとっては女の子というより仕事の仲間だし、彼女のことが本当に好きだったので、なんの罪悪感もなかったのですが、S子にとってはかなりショッキングな出来事のようだったのです。
ですがちゃんと話をした結果別れずに済み、僕としては何の問題もなく仲直りしたつもりでいました。


だがこの出来事が次の一年に大きく響いてくる事を、この時まったく予期していなかったのです…




次回 「 暗黒の一年